社会

偉い人はどうして無責任なのか(前編)

投稿日:2018年5月29日 更新日:

理解できない人たち

最近、よくテレビや新聞を賑わせている報道で、疑惑をもたれたりしても記憶に無いだとか、知らない、やってない、関係ない等のないない尽くしで、ノラリクラリと逃げ回る要職にある人達を良くみかける。

いわゆるエライ人たちだ。

アメリカンフットボールの反則問題にしろ、モリカケ疑惑の政治家にしろ無責任を肯定するかのような人達が揃って偉い立場の人物であり、その人たちが皆似通った振る舞いをしているのはなぜか。それはまるで、無責任であることが出世の必須条件であるとDNAに組み込まれているかのごとく私には感じられるのである。

 

テレビを見ていて、彼らのあまりの自分たちとの感覚の違いにイライラしたりする人は少なくないだろう。どうしても、彼らに共感出来ずにむしろ嫌悪感の方が勝ってしまうのだ。

あの人たちの特徴として、世間一般で言うところの私達の考える立派な人とはちょっと違うところがよく目につく。果たしてその違うところとはどんなところなのだろう。

彼らの特徴として、悪い事をしてるんじゃないのか?と疑惑を持たれたとしても、ヒョイとかわして、そして雲隠れなどしながら、なかなか責任を認めようとしない。体育会系の人などは、言葉足らずでどこかぎこちないが、世間一般との感覚のズレに関しては似たような一貫性がある。

まるで、認める事自体が悪なのだと言わんばかりに強情に責任の所在を明らかにしない。ああいえば、こうこうで理屈をこねて追求をかわしたりして、最終的には責任を人に押しつける。特に自分よりも弱い立場の者に責任を被せる。

世間の常識はきれいごと

それはまるで、人を殺したやくざが若い衆に身代わりをさせ出頭させるというようなものと同格ぐらいの感じがしてならない。そんなものは、そういう道の世界でしか成り立たない行為なのだと思ってはばからない人は多いはず。しかし、物事はそんなにはっきりと区別はされていない。事実は小説より奇なりだ。

 

とそれらのことから考えると、これから見えてくる事は単純なはなし、出世がしたけりゃ決して自分が責任をとったりしてはいけないということではないだろうか。正義感だったり、誠実さだったり、格好良さは出世にはいらないのである。むしろ大敵なのである。

また、部下のミスを自分がすべて被るような、ドラマに出てくるような格好いい行為は、出世を遠のかせる行為にしか他ならない。

 

そういうような、私達が考える常識とはだいぶかけ離れたことが世の中にはあると考えてしまう。

 

→偉い人はどうして無責任なのか(後編)





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